慰霊の旅

 10月25日、仕事を終えて出発、片道4時間ほどかかりますので前乗りしたかったのですが、当日佐伯のホテルはすべて満室。そのため臼杵市内のホテルを予約しました。
 途中別府温泉「鬼石の湯」に立ち寄り、「ホテルニュー臼杵」に到着したのは午後10時ほど。
 部屋はトリプルしか空いておらず予想外の広さでした。周囲にあるいて行けそうな店はなく一階の居酒屋で一杯飲んで就寝。

 米水津を走っているとたまたまお魚まつりがやっていました。ちょっと立ち寄ったら旨そうな海産物がたくさんありましたが生鮮品は持って帰れないのでつまみぐいだけ。

 寄り道してたら旦賀に到着したのは午前9時半でした。

 お供えをもって行ったため、ミュージアムの入り口で事情を聞かれたので答えると、館長はたいそう喜ばれ、館内を詳しくご説明いただきました。
 旦賀砲台は昭和6年(1931年)に豊後水道を通過する敵船を攻撃するため、5年もの歳月をかけて建設されたそうです。

 忠魂の碑
 戦時中の戦死者をとむらう慰霊碑が建てられています。慰霊碑に手を合わせご冥福をお祈りしました。

 いつも釣りを見ていたんですね!
 ようやく伝わりました。

 弾薬庫や爆撃機のプロペラ。

 斜行リフトにより人と弾薬が砲台に運ばれていました。電気式で2名乗車し、自分でスイッチを入れて上がります。



 携帯電話で撮影したので写りが悪いのですがご容赦ください。


  ここに海軍の巡洋艦「伊吹」の大砲が備え付けられました。
 この階段は「二階堂」焼酎のCMのカットで出てきます。

 1942年(昭和17)1月に重砲兵連隊が丹賀砲台の砲塔にて実射訓練を実施の際、砲腔爆発し砲台は一瞬のうちに吹き飛ばされ連隊長以下16名が死亡、その他多くの重軽傷者を負う惨事となりました。衣類のみが壁に貼りついたとの記録が残っています。

 


 ここから左手に見える鶴見半島と右手に見える鶴見半島の隙間に見える豊後水道を通過する敵船に攻撃を行う予定だったのです。砲弾は四国まで飛すことができたそうです。



つづく 

【旦賀砲台園地】

鶴見町(現佐伯市)が観光振興として1991年(平成3)2月に丹賀砲台園地を開園しました。

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